漏らしたパンツを洗うのはみじめなのだ

 洗濯をした。
 これがちょっと面倒な洗濯で、ただコインランドリーに放り込めばよいというものではなかった。
 じつは先日、うんこをちょっと漏らしてしまった。そしてパンツはもちろん、ズボンまで汚れていたのだ。したがって、これを洗濯機に入れる前に、汚物処理室の水道できれいに洗わねばならないという作業が必要であった。いくらなんでもこれは妻にも親にもまかせられない。

 ここへきてから、下痢であったり体調が悪かったりで、何度この作業をしたことだろう。その度に情けない気持ちになった。夜中、漏らしたパンツを一人洗うみじめさ、ベッドのシーツまで染みてしまって、そこだけ折って朝まで待って、シーツ交換をしてもらう恥ずかしさ。病院のスタッフはそういうことには慣れているから、平気な顔でさっさと作業してくれるが、やはり恥ずかしいものである。そしてパンツを洗うのはみじめなものである。

 その時は、もう下痢は大分おさまってきていたので心に若干のゆるみがあったのかもしれない。トイレに行ったら大の部屋が全部ふさがっていて、車いす用トイレまでふさがっていた。なんだよなんだよと思いながらトイレの前を行ったり来たりして空くのを待った。
 漏らした感覚はまったくなかった。しかし一室空いてやっと中に入った時にはすでに遅かったのだ。そしてなんだかへんな漏れ方をしたのか、へんなところに漏らしたブツがくっついてやっかいな汚れ方をしていた。ご存知だろうか、うんこをもらした時、もらした本人にはどういう具合に漏れて汚れているかまったく見えないのである。確認のしようがない。だいたいの見当をつけてしりを拭き、汚れたパンツを脱いで洗うのだ。狭く暗い室内でパンツもよく見えないので、場合によっては新たにあらぬところに付着する。そんな状態であった。

 そのパンツとズボンをビニール袋に入れ、しばらく放置してあった。その洗濯である。汚物室での下洗いからはじめねばならなかった。洗い終わり、石鹸で念入りに手を洗いながら、ぼくはヒジョーにみじめな気持で、「もういやだなあ。この歳になって漏らしたくないなあ」としみじみと思った。