葉山さんがきた

 寒い雨の一日だった。
 午後からギターの葉山さんが来てくれた。川崎での仕事を終え、関西まで帰宅する前に、寸暇を縫う様に、しかも週末の渋滞の中をこんなところまで足を伸ばして来てくれたのだ。

 葉山さんといえばレコード会社ビーイングの全盛期を支えた中心的アレンジャーで、ZARDT-BOLANWANDS大黒摩季DEEN倉木麻衣等を手掛けて来たひとである。ウィキペディアで検索すれば彼の華々しい実績の一旦を垣間見ることができる。
 ぼくと彼とは、織田哲郎氏のバンドで一緒にやっていたのだけれど、それ以前、ほとんど無名の歌手のバックをやはり一緒にやっていた。そして彼が織田バンドに入るときに、織田氏がついでにぼくも引っ張ってくれたのだ。それがぼくの本格的プロ活動の始まりである。
 その後も何かにつけ、葉山さんと一緒にいると仕事がまわってくることが多かったので、一時期ぼくは彼を「タナカラボタモチスト」と呼んでいた。
 織田バンドを共に卒業し、彼が本格的アレンジャーになってからも、彼は折に触れレコーディングに呼んでくれた。一番の思い出はZARD「負けないで」である。レコーディングの時は右も左もわからずにただ演奏しただけで、あんなに売れるとは思ってもみなかった。しかし結果としてあの曲のレコーディングに参加できたことは、ぼくの宝ものとなった。

 彼の言葉で忘れられない言葉がある。
「ギターが弾きたくて音楽をやっているやつと、音楽がやりたくてギターを弾いているやつといるんだよね」
 名言だと思った。
 ギターの場合、決定的に前者が多い中で彼は完全に後者であった。彼は忙しい合間を縫って今でもライブ活動をやっている。そして彼はどんなにビッグになっても少しも尊大ぶることがない。それが証拠に、大阪、関東と忙しく飛び回る寸暇を縫ってぼくなどに会いに来てくれた。ありがたいと同時に尊敬に値するひとである。
 雨の夜のひととき、ロビーの一角で昔ばなしに花が咲いた。

 葉山さんが病院を後にしたのは、面会時間が終了する午後八時であった。それからあの雨の中を大阪まで……、無事に到着していてくれればよいのだが。
 少々心配である。