看護婦のエラいひとと話をした

 テレビをつけると、毎日オリンピックのメダルの話題で持ち切りである。
 近ごろこういうのを見るとダメだ。すぐに泣けてしまう。メダルを取ったひとも、惜しくも逃したひとも、競技が終わって泣いている姿を見ると、ついもらい泣きしてしまうのだ。
 そのひとの思いや、苦しかったであろう練習の日々や、涙のむこう側にあるであろういろいろなことに思いをやると泣けてしまう。一人でいるなら誰はばかることなく思い切り泣けるのだけれども、病室でひとり泣いているのはおかしいので我慢をするが、つい涙がいっぱいに溜まってしまったりする。今のところ誰にも見られていないであろうからよいが、オリンピックの感動も良し悪しである。

 今日は、看護婦のえらいひとと、移植に向けてのことや無菌室に入ることについてなど話をした。来週には主治医と面談もあるし、いよいよ迫りつつあるのだなあと実感する。
 移植も、無菌室に缶詰めになることも、実際にやってみなければどうなるかわからない。ひどく苦しいかもしれないし、案外とそうでないかもしれない。しかし今は何をどう考えてもあまり意味はなさない。ともあれ移植日は九月十三日と決まっているので、あとは流れに乗ってゆくしかないのだ。しかしそういう話を改まってすると、緊張感がちょっと高まるというものである。
 その中で、今後、がん相談センターのひとや、臨床心理士のひとなどが話を聞いてくれるというのがちょっと救いな気がした。ここでの生活は、意外と本音で誰かと話をするという機会が少ないから。
 以前は、お菓子のイーダさんがいたのでけっこう話をしたものだが、今は病室内での会話はほとんどない。それはそれで息が詰まるものである。

 熱は、午前中は六度台、午後からは七度台というところまできた。熱発から十一日目、しつこく尾を引く熱である。
 明日は移植前の検査ということで、CTと心臓のエコーをやるらしい。こののんべんだらりとした無為な日々のなかで、何かしらそういうやることがあるというのはありがたいことである。