手賀沼の攻撃的野良白鳥のはなし

 日曜の病院は見舞客でにぎわう。病室もエレベーターも。
 部屋にいても落ち着かないので、自由に動けるようになった僕は一階のロビーへ降りた。普段は外来で混雑している一階も、今日は休診日なので電気が消えて人もおらず、落ち着く。
 自販機で買ったカップのコーラを手に、椅子に座ってロビーの外を眺めていたら、昔見た手賀沼の白鳥のことを思い出した。
 
 手賀沼は一周を自転車でまわれる。もう十年以上前、手賀沼は僕の自転車での散歩コースであった。
 沼の我孫子側の遊歩道に二組の白鳥のグループがいた。ひとつのグループは遊歩道のすぐ脇の水の上をなわばりにしており、もうひとグループは遊歩道脇のヤブをなわばりとしていた。水の白鳥と陸の白鳥である。白鳥は渡り鳥だとばかり思っていたのだが、かれらは年中誰かが餌をくれるものだからか、一年中いつ行ってもそこにいた。
 
 そこは遊歩道だから、みんな白鳥のためにパンなどの餌を持ってきてやっていた。水のグループは陸から投げられた餌を黙って食べるのだけれど、陸の家族はちょっと違った。人がやってくるとヤブから出てきて威嚇するのだ。白鳥は陸上でみるとけっこうな大きさである。そしてすこし汚い。その大きな汚い鳥がくちばしをカパカパカパッ!と鳴らして威嚇しながら走って向かってくるのである。餌を持ってきた人はおどろいて餌だけ放り投げて逃げる。かくして陸の白鳥は威嚇の末に放り投げられた餌だけをいただくというのが常であった。
 そのように水の白鳥は常に平和的である一方で、陸の白鳥は常に攻撃的であった。白鳥にもいろいろである。
 僕はそれを見て、なんだ白鳥というのは優雅でもなんでもないじゃないか、こんな場所で一年中人を威嚇して、餌をかすめ取って生きているんじゃ立派な野良白鳥だなと思ったのだ。
 
 同じように、遠くで見ていると優雅でうつくしいけれども、近くでみるとそうでもなく、薄汚く意地汚く、かつ攻撃的で危険というものは世の中には他にもきっと存在するであろうから、そういうものにはけっして近寄らず、だまってしずかに遠くから眺めていることにしようと、手にしたコーラのカップの氷をポリポリと噛みながら、ひと気のない病院のロビーで何気なく僕は思ったのである。
 あの二組の白鳥、ことに陸の攻撃的野良白鳥はまだいるのだろうか。