常識というのは、人の数だけあるものだ (タカハシさん、退院おめでとう)

 昨夜、眠くて仕方なかったので早寝をしたら、今朝は四時前に目が覚めてしまった。他のひとたちを起こさぬよう、そっとトイレに行き、そっとうがいをし、そっと森へ行き、そっとコーヒーを買ってきた。そして今、なるべくそっと、キーの音をたてぬようにこれを書いている。まだ六時の起床時間前であるから。

「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。
 そういう感覚は日本人だけのものかと思って調べたら、英語でも「When in Rome, do as the Romans do.」という言葉があるではないか。洋の東西を問わず、人間社会というのはどこへ行ってもそうは変わらないのだなと思った。むろん生活習慣や言葉の違いというのはあるだろうが、ヒトが群れで生きてゆくことにおける気遣いや
マナーというのは、そうそう変わるものではないのだ。

 タカハシさんはできたひとで、洗面台の使い方がすばらしい。
 よく、うがいのときに喉の奥の痰を出そうとするのだろうか、「ガラガラガラ、ガーッ、ペッ」とやるオヤジがいるが、彼はそういうことはしない。そうっと「カラカラカラ、ハー、ヘッ」と極力音を出さぬようにやるのだ。たいへん上品である。そして自分が洗面台を使ったあとは、ペーパータオルでフチの水滴をきれいに拭きとるのだ。
 
 前に、誰かが歯磨きをしたあとに、洗面台の鏡に点々と水滴が飛んでいたことがあった。後から使った僕は、「しようがねえな」と思いながらもそのままにしておいたのだが、いつの間にか鏡がキレイになっていた。おそらくタカハシさんが洗面台を拭くついでに拭いたのだろう。そういうことのできるひとなのだ。そういう気配りといい、普段の気配のなさといい、やはり彼は仙人の域に達していたのだ。
 そんなタカハシさんとは、僕は今日でお別れである。彼の退院は明日だが、僕は今日から外泊に出てしまうから。
 ちょっと寂しい。彼は僕がこの部屋に来たときにすでに居たので、二か月ちかくを共に過ごした。おそらく一生忘れ得ぬひとになるだろう。あまり話さぬひとであったが、話すとにこにこと気のよいオジサンであった。 
 白血病の再発での入院で、僕がここに来たときには生きる希望を失って「あとは死ぬのを待つばかりですよ」などと言っていたが、経過が順調で、よくなっての退院である。
 タカハシさん、ほんとうにおめでとう。もうここへ戻ってきちゃだめですよ。お元気でね。
 
 イーダさんは何度目かの抗がん剤治療後で、今が一番つらい時期である。高熱が出て、ふらふらと身体に力が入らず歩けない。ひどいときにはベッドから起き上がることも容易ではないようだ。
 昨日、彼の向かいになった僕がふと見ると、カーテンの隙間から、靴を履くのだか脱ぐのだか、足をもぞもぞやっているのが見えた。
「どうしたんだ?」
 と声をかけてみると、ベッドの上で起き上がれずにもがいていた。トイレに行きたかったらしい。僕は彼が起き上がるのを助け、肩を貸してトイレまで連れていってやった。今回はかなり抗がん剤が効いた……、というより効きすぎたようである。熱が上がったり下がったりして苦しんでいる。
 彼も僕より先にこの部屋に入っていた。話好きでいろいろなことをあれこれよく話すのだけれど、誰かが眠っていたりするときにはさすがに静かにしている。
 コンビニが開く朝七時に僕が毎日買い物に行っていた時には、かならず彼のために新聞を買ってきてやったものだ。今は僕が行かなくなってしまったので、病棟の補助員さんにそれを頼んでいるようであるが。

 これまで、マシンガン氏や、くそジジイ氏など、若干メイワクなひとたちも居たが、そういうひとたちは不思議と一週間ほどで居なくなっていった。そして僕とタカハシさんとイーダさんの三人がずっと残ってきた。そういう部屋であるようだ。
 新しく来たファンキーK氏とは、どうやら長い付き合いになりそうである。できれば郷に従っていただきたいのだが、人の常識感というのは人の数だけあるので、どうなることやらである。
 
 かく言う僕も、一日中、深夜までPCのキーをカタカタやっていたり、カーテンをいつも開け放っていたり、気づかぬところで迷惑をかけているかもしれない。カーテンについては、今回窓側へ移動になったので、迷惑度は若干低くなったかもしれないが。

 共同生活、しかもこういう場所で長く共に生活するというのは、なかなか難しいものである。
 できるかぎりひとさまには迷惑をかけず、それでいて自分もストレスなく過ごしたいものである。
 僕らは、長いたたかいなのだから。