朝の空気

 今朝は五時十分に、隣のジジイが窓のカーテンをシャーッと開ける音で目が覚めた。
 それまでぐっすり眠っていた僕は、時計を見て思わず「なんだよう」と声に出した。だから窓のカーテンは六時前に開けるなよ、と。
 しかし窓を見たらカーテンは閉まったままだった。ジジイが開けたのはベッドのカーテンで、トイレに行っただけだったのだ。しまったと思ったが、後の祭りである。いずれにしても、ジジイのシャーッで起床時間前に起こされてしまったことに変わりはないのだ。
 ジジイはベッドに戻るとまた眠ったようであったが、こちらはもう眠れない。仕方なく森へ行くことにした。
 
 裏の森へ行くには、病棟の裏口を出て、建物が切れたところを右へ曲がる。曲がった瞬間に前方に空が一気にひらける。今朝は雲ひとつない青空だった。森の木々が朝陽を浴びて輝いていた。
 正面に一本、高い杉の木が空に向かって伸びている。ヒヨドリが一羽、杉の枝から飛び立った。地面では、セキレイが尾をピクピクさせながら餌をついばんでいた。
 空気がキンと冷たくて気持ちよかった。
 僕はふと、この空気はむかしどこかで吸ったことがあると感じた。
 すこし考えて思いだした。釧路川を下ったときの朝の空気だ。
 
 今からもう十年以上前のことである。
 僕は一人乗りの木製のカナディアンカヌー釧路川を下った。テントとシュラフと、三日分の食料を積み込んで。同行者は誰もいない。ソロであった。
 釧路川はカヌーのメッカなので、夏場には観光カヌーがたくさんいるが、まだ寒い五月の釧路川には僕以外誰もいなかった。
 
 朝、目が覚めてテントの入り口を開けるとキンと冷えた空気が一気に入ってくる。まだシュラフにくるまっているので身体は温かいが、顔だけが朝の空気と対面する。
 寝ながらぼんやりと川面を見ていると、なにやら綿毛がたくさん飛んでいた。綿毛は、あとからあとから尽きることなく川面をふわふわ飛び漂ってくる。
 至福の時間だった。
 今朝の空気は、ちょうどあのときの朝の空気に似ていた。
 
 釧路湿原には道路が通っていないので、フネでしか入ってゆくことができない。コンクリートで固められていない川岸には、熊の足跡があった。浅瀬ではタンチョウが餌をついばんでいた。木々の間にエゾシカもいた。
 夜、眠るときには、遠くで鳴くふくろうの声や、鹿の声が子守歌だった。
 湿原を流れ下る川は、まったく僕ひとりのものだった。
 スマホなどない時代だったので、国土地理院発行の地図を持っていった。地図をよく見ると中流域に道路が一本とおっていて、川からほど近いところに温泉のマークがあった。僕はフネを岸に引き上げ、タオルを一本持って歩いて行ってみた。
 そこは地元のひとたちしか来ないような温泉で、茶色くトロっとした湯であった。冷え切った身体が湯のなかでゆっくりほぐれ、芯まで温まった。
 そんなことを、今朝の空気に思いだしたのだ。
 
 川はいい。
 こうして一人で旅しながら下るのもいいし、仲間と瀬で遊ぶのも楽しい。誰もいない河原でたき火をしているだけでも心が癒される。都会の、鉄とコンクリートアスファルトのなかに置き去りにしてきた心を、ゆっくり取りもどすことができる。
 
 僕が川へ行かなくなってからもうずいぶん久しいが、またいつか行きたいものである。先日、見舞いにやってきてくれた川友達とそんな約束をした。
 命ながらえることができたら、かならず行こうと、今朝の空気のなかで僕は思った。