抜く抜くいうなよ、歯医者だろう

「千葉さん、千葉さん」
 寝ているところを起こされて目を開けると、歯医者が立っていた。
(そうか、今日は歯医者が来ることになっていたな……)
 僕は夕食を食べたきり、そのまま眠ってしまっていたのだ。
「……あ、はい」
 ぼんやり起きてはみたものの、眠っていたところを起こされたのと、歯医者の顔をみたのとで気分は冴えなかった。歯医者は、僕の歯が痛むというので主治医が出張歯医者を呼んでくれたのである。この病院には歯科がないのだ。
 
 僕はこの歯医者があまり好きではない。そしてあまり信用もしていない。なぜなら、やたらと抜く抜くというからである。
 抜きたがる歯科医にろくなものはいないというのが僕の持論である。どんなにひどい虫歯でも歯周病でも、抜いてしまえば治療は即終了である。何の手間も技術も必要ない。麻酔薬と道具さえあれば自分ででもできようものだ。普通ならば抜いてしまうところをいかに治療し、いかにもたせるかが歯医者の腕の見せどころではないか。
 もちろんそれには、歯磨きをしっかりするなど、患者側の努力が不可欠ではあるが、まずはそういう提案もせずに、最初からいきなり「抜きましょう」というのは乱暴極まりない話で、歯科医としての技術とやる気のなさを露呈しているようなものであると僕は思っている。今問題なく使えている歯を抜かれてよろこぶ者はいないのだ。
 
 問題となっているのは、右のいちばん奥の歯である。この歯の根元が歯周病にかかっていて、普段はどうということはないのだが、今回白血球の減少による抵抗力の低下によって炎症を起こし、それが奥の歯ぐきの方にまで広がってしまったのだ。
「この歯は、白血病の治療がなければ残せる歯でしょう?」
 と僕は聞いた。
「そうですねえ。でも根元の歯周病があってグラグラしてきていますから、いずれは云々……」
 歯医者は、わかったようなわからぬような説明をぐずぐずしていた。
 
 歯周病はたしかに表面の虫歯よりはるかにやっかいである。
 今後、骨髄移植となれば身体の抵抗力はさらに低下するので、その菌が身体のほうへまわって重症化しかねないことも理解している。だからといって抜く以外に方法はないのか。今では薬もあるのだから注射でもなんでもしてなんとかそれを防ぐ手立てはないものか。
 できればそういう方向から考えてもらいたいのだが、どうもこの歯科医はそうではないようなのだ。

 この問題は、ちょっと主治医としっかり話し合う必要があるようだ。移植にあたって今、この歯を残すリスクと、それを防ぐ方法がなのかについて。
 考えうるリスクをあらかじめすべて取り除いてしまえば、それだけ移植は楽になるだろう。けれども患者には、たとえそれがリスクだとわかっていても大事にしたい物というのがあるのだ。
 僕の歯は、とくに奥歯は今ではもう右奥の二対四本しか噛める歯がないのだ。その二対だけで噛むのはえらく遅いけれどもなんとか普通に食事ができているのだ。そのうちの一本でも抜いてしまったら、残りは一対だけになってしまう。
 それにはやっぱり抵抗がありますよ。