いよいよ骨髄バンクに登録するのだ

「千葉さん、あなたのHLAは典型的日本人の型なので、適合するドナーは山ほどいますよ。安心してください」
 病室にやってきた若い主治医が、書類を手にそう言った。
 書類は骨髄バンクへの申請書と、くわしい説明書であった。
「これと、これにサインをしてください。そしてこれに必要事項を記入しておいてください。月曜日に骨髄バンクへ発送しますから」

 HLAとは、「ヒト白血球抗原」、つまり白血球の型のことである。この型には何万とおりという種類があり、適合するドナーが見つかるか見つからないかは運次第なのだ。
 そして移植される骨髄は、骨髄バンクのコーディネーターを介してドナーから提供される。僕はいよいよそこへ患者として登録してもらい、ドナーを探してもらうことになったのだ。移植へむけての第一歩である。
 僕は言われるままに書類にサインした。
 
 皮肉なものである。僕の白血病の病型は最悪の最悪型であるにもかかわらず、HLAにおいては適合するドナーが山ほどいるという。よいのだかよくないのだかよくわからないが、まあ両方わるいよりはよいのだろう。
 僕はサインをしながら、すこし心がひきしまる思いがした。ここから先は流れのままに進んでゆくしかない。吉とでるか凶とでるかは流れ次第である。もう迷いはほとんどない。
「あとは先生、よろしくお願いします」
 そう言って書類を渡した。
 
 今の僕は、病気をすなおに受け入れている。
 どうしてこんな病気になってしまったのだろうとか、病気さえなければといった気持ちはまったくといってよいほどない。むしろずっとこのままの生活でもよいとすら思っている。
 おそらくそれは僕が今、苦しくないからそういっていられるだけなのかもしれない。けれども、この先苦しみがやってきたとしても、病気になったことを悔やむことはおそらくないだろう。ただ苦しみとたたかうだけである。
 
 午後から、血小板の輸血があった。血小板はあざやかなオレンジ色で、透明な輸血バッグに入っている。バッグに合掌してからつないでもらった。
 くどいようだが、僕に必要な輸血も骨髄も、みな身を切って提供してくれたひとがいるから与えられるのだ。感謝につきない。僕は輸血のチューブを見つめ、最後の一滴まで落ちきったのを確認してふたたび合掌してからナースコールを押した。
 
 骨髄の移植までには登録から二、三か月かかる。それまでは今の地固め療法をこのまま繰り返すことになる。おそらくあと二回は行われるのだろう。
 その間は、薄いカーテンで仕切られた、このベッドまわりの二メートル四方が僕の棲家である。すこぶる快適とはいい難いが、かといって耐えられぬほどの不快でもない。
 
 毎日掃除をしてくれる。
 三度三度の食事も運んできてくれる。
 毎週土曜日にはシーツを交換してくれる。
 シャワーもトイレも洗面台もある。
 こうしてPCも使えるし、テレビもラジオもある。
 欲しいものはたいていネットで手に入る。
 本を読む時間もいくらでもある。
 たまに友達がやってきてくれる。
 主治医が、看護婦が、精神科医が、ソーシャルワーカーが、緩和ケアスタッフが、みんなでよってたかって、なにくれと面倒をみてくれる。
 同室にいいひともいれば、いやなひともいるのは、外の社会となんら変わりない。むしろ外の社会の人間関係のストレスのほうがはるかに大きい。
 自由に出かけることこそできないが、それも慣れてしまえばさしたる不満ではない。市役所や銀行などへ行けないのが不便なくらいである。そしてひと月に一回くらいは外泊も許される。
 
 それらをみんな受け入れてしまえば、おのずと心はしずかになる。
 僕は、いつからこんなに何もかも受け入れてしまうようになったのだろう。
 輸血のチューブを外してもらい、ふとそんなことを考えながら病室を出ると、四角く切り取られた空にちぎれ雲が浮かんでいた。間もなく梅雨がやってくるのだ。
 傾いたやわらかな日差しが、建物に影をおとしていた。
 エレベーターで一階へおり、きれいに磨き上げられたリノリウムの廊下を歩いて、僕はミズキのもとへ向かった。