タバコ吸いたるもの

 病室のドアを出ると、正面の窓から空が見える。
 ここは最上階で、正面の窓は建物の内側の中庭を向いている。
 コンクリートによってみごとに四角く切り取られた空には、雲がひとつもなく、ただ一色に青かった。
 
 一階へ降りて裏口から外に出たら、空気がキンと冷えていた。
 杉の大木が空を突き刺すようにそびえていた。
 建物の脇から朝陽が射していた。
 木々は緑を濃くし、間もなくやってくる梅雨を心待ちにしているかのようであった。

 僕はいつものようにタバコを一本取り出して火をつけた。
 この場所にはいろいろな人がやってくる。患者も来るし、ドクターや看護婦などもよく見かける。みな一、二本タバコを吸っては、そそくさとまた建物の中へ戻ってゆく。
 
 先日、夜分にここに男たちが五、六人集まっていた。若そうだったので、おそらく研修医仲間であったのだろう。そのくらいの年代の男たちがよくそうであるように、彼らは高らかに笑い声をあげ、会話に興じていた。
 さいわいここは病室に面してはいないので、夜間とはいえそれはべつだん問題ではなかったのだけれど、翌日その場所に無数の吸殻を見つけたときにはがっかりしてしまった。若いからまだわからないのだといってしまえばそれまでだが、そのマナーのなさと民度の低さに。
 
 吸殻を捨てていくのは彼らに限ったことではない。ここにはいつも数本の吸殻が落ちている。この場所には病院関係者しか来ないのだから、おそらくその人たちが残していったものだろう。平たく押しつぶされ、泥がついてアスファルトにへばりついた吸殻を見ると悲しい気持ちになる。
 
 ここは、掃除をするおじさんがちゃんといるのだ。
 おじさんは落ち葉を掃き集め、吸殻も集めて捨てる。どんな気持ちで吸殻を拾い集めるのだろう。掃除をする人がいるから捨てていいのか、それとも掃除をする人のことを考えて自分で持ち帰るのか。
 
 僕は携帯灰皿を持たない。
 一時期使っていたこともあったが、大して入らないくせにかさばるのでやめてしまった。それ以来、吸い終わった吸殻はまたタバコの箱に押し込むことにしている。それで何の問題もない。新しいタバコにすこし灰がついたりすることもあるが、灰は無菌だ。
 
 この場所にかぎらず、タバコ吸いはけっして吸殻を捨ててはならないと思う。ただでさえ、タバコを吸うというだけで今では世間から忌み嫌われているというのに、吸殻まで捨てていたのではますます肩身が狭くなるではないか。
 昔なら吸殻を捨てることも、立小便をすることもごく普通だったが、もう時代が違うのだ。タバコ吸いが吸殻を捨て続ける限り、今よりさらに社会の隅っこへ追いやられ、やがて人権をも剥奪されてしまいかねまい。
 
 僕がタバコを吸いに外に出ていることは、看護婦たちの間では周知の事実になっているようだ。けれどもこの時期に発熱も感染もないので、自己管理ができていますね、ということで黙認してくれている。
 当然やめたほうがよいのはわかっているのだ。いや、やめねばならないということも。けれども一日にほんの一度か二度、森のミズキの下でタバコを吸うとき、「こんなうまいものを、どうしてやめられようか」とも思うのだ。
 たばこ吸いというのは、そういうものである。だからせめて人さまの迷惑にならぬよう、その場を汚さぬよう心を配りながら吸いたいものだとしみじみ思った朝であった。