たのむぜ、くそジジイ

 最初に断っておくが、この話は、食事中もしくは直前の方は読まないほうがいいと思う。

 隣のベッドに来たオジサンは、その後も誰とも口をきかない。最初に来た時とかわらず、まるでひとりでこの部屋にいるかのような振舞いである。
 年齢は七十歳くらいだろうか、僕とおなじようなつるっぱげ頭なので、見ようによっては悟りの境地にいたった徳の高い僧侶のようでもあるし、また、ただのじいさんにも見える。
 しかしまあとくに迷惑になるようなこともないので、僕もただ口をきかないだけで興味もなかったのだが……、今朝までは。
 
 それは今朝の朝食のときのことであった。早朝三時に目が覚めてしまった僕は、やっと朝食がきたと喜んだ。
 朝食はいつもパンと牛乳、そしてちょっとした副菜がつく。今日はウィンナーと野菜のソテーであった。 
 部屋全員の配膳がおわり、みなが食べはじめたとき、隣のカーテンが開いてオジサンが出てきた。せっかく朝食がきたばかりなのにどうしたのだろうと思ったら、オジサンはトイレに直行した。
 トイレは僕のベッドのすぐそばにある。というより僕のベッドがトイレの前の位置にあるといったほうがいいだろうか。オジサンは僕の前を例によって無言で素通りしてトイレに入った。
 
 そして次の瞬間……、大のほうであった。
 ドア一枚をへだてて突如脱糞音が響いた。
 オジサンは下痢をしているようであった。擬音はくわしく書かないが、それはもう、そのモノが目に浮かぶような盛大な音であった。
 ここのトイレには音姫がついているのだけれども、オジサンはそんなものは使わない。音消しの水なども考えもよらぬ。ただ朝食の静寂を破ってその音だけが響きわたったのである。
 音は後半に向かって、これでもかと音量を増して響き続けた。
 
 僕は一瞬で食欲をなくし、食べかけのパンを皿に戻した。
 とても食べられたものではない。一撃必殺的脱糞音である。僕は食事をあきらめ、パンもおかずもまだほとんど残ったままのお盆を下げた。
 僕の心は、怒りと悲しみと恨みとがない交ぜになった。
 
 あのですねオジサン……、というより、おいジジイ! ひとがめしを食べているときくらい遠慮せいよ。気ぃ遣えよ。まる聞こえなんだよ。
 部屋の外にも、すぐそこに便所あるじゃんかよ。
 部屋でするなら水を流すなり音姫使うなりしてくれよ。こっちはやっと朝食にありついたというのに、一気に食えなくなっちゃったじゃんかよ。どうしてくれるんだよ。
 え? 下痢便ジジイ、いや、くそジジイ。
 
 もうほんと、たのみますよ。お願いします。
 もしまた同じことがあったら、僕はトイレのドアを蹴り壊してしまうかもしれない。
 というわけで、オジサンの正体は徳の高い僧侶でもなんでもなく、「ただの何の気遣いもできぬ、くそジジイ」だったのであった。