新人ちゃんもよろしくネ

 寒い朝だった。頭皮がうすら寒かった。
 つるっぱげ頭になると、暑さ寒さを頭皮で感じるようになる。そして降る雨も、じりじりとした陽ざしも、いちばんに頭皮で感じるようになるのだ。髪の毛があったときはそんなことはなかったので、髪の毛というのはなるほどよくアタマを守っているのである。
 
 このところすっかり早寝早起きになってしまった。
 夜明けとともに起き、日暮れてほどなく寝てしまう。まるで江戸時代生活である。どうもミンザイを翌日に持ち越すことが多かったので、早め早めに飲むようにしていったら、とうとう夕食後すぐに飲むようになってしまったのだ。
 夕食は午後六時である。食べ終わって七時ころに飲んでしまう。すると八時になるころには眠気におそわれるが、いくらなんでもそんな時間に眠ってしまっては夜中に目が覚めて困るので、しばらくはがんばって起きているのだが、九時か十時にはそれも限界に達し、ふと横になったとたんに寝入ってしまうのだ。そして誰よりも早く、朝四時台に目が覚めるという江戸時代生活になってしまったのである。
 早起きは三文の得というが、入院生活においてはさして得になることもない。朝食までの待ち時間が長くなるだけである。
 
 ミンザイは精神科のドクターが処方してくれているものなのだが、やけに効くので調べてみたら、統合失調症の薬だった。強力なわけである。統合失調症のひとはこんな強い薬を常に飲んでいるのだろうか。それでは昼間からうつらうつらぼうっとしてしまうのも無理はない。僕はこれをミンザイとして使っているので、しばらくはこんな江戸時代サイクルの日々がつづくものと思われるが、おかげで夜はぐっすり眠れているので、当面はこれでいこうと思う。
 
 はやいもので、もう六月になってしまった。
 こうして毎日たいしてやることもなく過ごしていると、一日一日がすぎるのは遅いが、日にちがたつのは早く感じるものである。入院してからはやくもひと月半が経過した。
 二回目の抗がん剤投与後第一週は発熱もなく、どうやら無事に過ぎそうである。まだ来週あたりまでは血球数が極端にひくい時期なので危険だが、熱だけは出すまいと、せっせと徹底的手洗いうがい作戦に精をだしている。
 そのかいあってか終日なんの点滴もぶら下げられない日があってうれしい。今日もなにもない。点滴棒とはさようならである。この後は一日おきの輸血が必要になってくるのだろうが、点滴棒なしでどこへでも行ける自由さは何ものにも代えがたいのだ。せっせと感染予防にはげみ、熱を出さずにミズキのもとに通いたい。そしてまた折を見てロビー強行突破実験にも挑んでみようと思っている。

 六月にはいって、僕の主治医についていた研修医がかわった。今までは女性だったのだが、今度はむくつけき男の研修医である。この三月に医大を卒業したばかりだそうだ。さすが大学病院である。
 彼らもたいへんである。自分の意思や希望とは無関係に、ふた月ごとに各科をまわらなければならない。六年間大学に通って、その後二年間の見習いを経て、やっと専門科での新米スタートとなるわけである。それだけたくさんのことを学び、経験するのだからせいぜいしっかりやってもらって、立派なお医者さまになっていただきたいものだと切に願う。あなたがたがいないと僕たちは生きてゆけないのだ。

 ドクターのほうもさることながら、この病院には看護学校も併設されているので、若い看護婦さんも入れかわり立ちかわりである。こちらも看護婦になってから数か月単位で各科をまわって経験を積まされるらしい。なかなかたいへんである。
 
 このフロアのナースステーションの前の壁に看護婦紹介のコーナーがある。顔写真を切り抜いて名前が書かれているだけの簡単なものだが、われわれ患者としては、数いる看護婦さんの名前を覚えるのに便利である。
 どうせならこれをもっと大きく目立つようにこしらえて、その日出勤している子の顔写真のところに赤いバラでも貼りつけたら斬新なのではないかと思う。そして新人の子には金色のバラをくっつけて「よろしくおねがいしまーす」とでも書き、婦長が「明るく活発な子です。まだまだ未熟ですが若さで勝負! やさしくしてあげてくださいネ」などと推薦文をつけたらたいへんすばらしいと思うのだが……、やはりだめだろうか。

 ともあれ、ここでの暮らしと、ここのひとたちにも大分慣れてきた。いや、そう思っているだけでじつはまだ慣れていないのかもしれない。一日じゅうベッドの上にいるのはいやだし、ベッドわきの椅子に座ってPCをいじり続けるにも限界がある。テレビも本も飽きるし、ましてこの部屋から一歩も出ないなどという芸当はとうてい無理だ。
 今はまだ部屋から出る自由があるからよいが、無菌室に入ったらどうしよう。いっそ家からプロジェクターを持ってきてホームシアターにでもしてしまおうか。いや、やっぱりこの小さなPC画面を見つめながらしこしこ書いているのがお似合いだろう。