第三の妻

 命というものは、たまに想像も及ばぬはたらきをするものである。
 
 そのひとは、解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)だった。長ったらしい名称なので、多重人格といったほうがわかりやすいだろうか。ひとりの身体に多数の人格が宿ってしまう状態のことである。
 
 二十代の女性である彼女のところに集まってきた老若男女それぞれの人格は、完全に彼女とは別人であり、それぞれ独立した「人」であった。いや、猫もいたので、正確には「命」といったほうがよいのかもしれない。
 長距離トラックをやっていた僕は、多い時には十人ちかくの「人たち」と常に一緒に旅をした。僕は一人の女性を助手席に乗せて旅をしていながら、そのじつ十人近い人たちといつも一緒だったのだから、にぎやかで飽きることがなかった。
 けれどもそれはかなり時間が経ってからのことで、最初に別人格が僕の前に登場したときは、心臓が口から飛び出すかと思うほどに驚いた。
 それは彼女がまだ僕のトラックの助手席に来る前、電話で話していたときのことだった。数秒の沈黙を経て突然別人格が表れたのだ。ちょっと危険なにおいのするやつだったけれども、やがて彼はよい友達になった。彼と言っていいのだろうか。性同一性障害というか、女性の身体を持ちながら(彼らは中ではちゃんと身体を持っているのだ)、その心は男性だった。彼女(あえて彼女というならば)は、「翔(かける)」と名乗った。
 
 しかし友好的な人格ばかりではなかった。DIDの場合、かならず一人は主人格を害そうとする人格があらわれる。彼女の場合も例外にもれず、常にそういう人格がいた。人格は二人同時に表に出ることはできない。主人格である彼女が中に入っているときに、その害する人格が表にあらわれ、その肉体を死に追いやってしまう危険があった。
 その危険が本格的に差し迫ったとき、僕は第二の妻と別れて、彼女をトラックの助手席に乗せる決意をしたのだ。
 
 やがて僕らは結婚し、彼女は僕の第三の妻となった。そして子供が生まれた。
 このころになると人格どうしも互いに仲良くなり、彼女のなかには彼らの住む共同の世界ができあがり、おおむね平和に暮らせるようになった。彼らは折をみて表に出たり中に入ったりした。そして表と中とで会話することも可能になった。
 
 しかし僕は、またしてもこの妻を僕の怒りの感情で傷つけることになってしまった。そして耐えきれなくなった妻は、生まれたばかりの子供を連れて実家へ帰ってしまった。僕は必死で帰ってくるように説得をしたが、彼女の決心は固く、そして僕を恐れる気持ちは頑なだった。

 あるとき、実家に戻った妻と電話で話している最中に翔がでてきた。
「おまえ、どれだけこいつを傷つけたと思ってるんだよ」
 翔のその言葉に、僕は返す言葉がなかった。そうなのだ。僕はまたしても妻を深く傷つけてしまったのだ。
「ごめん」
 しばらくの沈黙のあと、僕はそれだけ言って電話を切った。
 
 おそらく僕のような男は、結婚生活不適格者なのだろう。常に相手を傷つけてしまう。自分の心が憎かった。どうしてこんな性格に生まれついてしまったのかと自分を呪った。けれども、どうしようもなかった。
 言い訳がましいが、僕は三度の結婚ともいい加減な気持ちで結婚したのではない。今度こそ、今度こそこの相手と一生を添い遂げるのだと決心してのことだったが、現実はいつも僕のこの心が相手を深く傷つけてきた。
 だから、もう一生結婚はすまい。これからはずっとひとりでいようと心に決めた。ひとりでいるかぎり誰をも傷つけずにすむ。そう思わざるを得なかった。
 僕は、そういう男なのである。