まもなく二度目のコーガン剤

「コーガン剤というのはあるけれど、インケー剤ってのはないのかな?」
 あるとき、若い看護婦に冗談でそう言った。
「は?」
 若い看護婦は首をかしげた。
 それを聞いていた先輩の看護婦が、
「ちょっと千葉さん、ばかなこと言ってんじゃないよ。セクハラだよ」
 と僕をたしなめた。
「あっ、なるほどー」
と、若い看護婦がやっと笑った。

 さて、ものを書くという作業に病室というのはとても適しているようで、ひと月いるうちにいつの間にか僕はすっかりここの環境になじみ、自分の部屋では書けず、ここでしか書けないようになってしまった。
 ここには同室の人もいるが、ほとんどいつも静かにしているので書く作業の邪魔にはならない。むしろまったく一人という環境より、この程度の環境のほうがはかどるようである。自室で勉強をする子供より、キッチンなど家族がいる場所で勉強する子のほうがえてして成績がいいというのと似ているかもしれない。
 何より清潔なのがいい。僕の部屋は乱雑であまり清潔とはいえない。そして三度三度の食事が黙っていても運ばれてくるのもすばらしい。しかも完全栄養食である。僕は自宅にいる限り、食事は買ってきたコンビニものか、車でどこかに食べにゆく以外にない。
 
 ということで外泊最終日の夕飯、僕は自宅を出てとんかつ屋に行った。はじめて行った店だったが、やわらかくてたいへん美味であった。
 僕はこのひと月あまりの入院生活の間にすっかり病院食の薄味に舌がなじんでしまったのか、外食はどれもたいへん塩からく感じたが、とんかつは自分でソースの加減を調節できたのでありがたかった。むしろ何もかけなくてもじゅうぶんおいしかった。そして入院中は禁食だった生野菜のキャベツも、とんかつに負けないくらい僕の舌には新鮮で美味であった。
 
 うまいとんかつで腹いっぱいになったところで病院にむかった。気分は、泣きすがる恋人を振り切って自首する犯罪者のそれにちょっとだけ似ていたが、泣きすがる恋人もおらず、自首すべき犯罪も犯していない僕が7Cのフロアにたどり着くと、なじみの看護婦たちが笑顔で迎えてくれ、「ただいまもどりました」と病室に入ると、イーダさんたちが「おかえり」と迎えてくれた。
「ああ、病院もわるくないなあ」
と自分のベッドにごろんとしたのは、前回にも書いたとおりである。

 僕が戻った翌日、お菓子のイーダさんが外泊で出ていった。僕と同じ二泊三日の予定である。
 イーダさんはジャケットを着て出ていった。いつもパジャマ姿しか見たことがなく、日本一パジャマの似合う男だとばかり思っていたのだが、ジャケットを着たイーダさんは男ぶりが二枚も三枚もあがっていた。
 タカハシさんはコーガン剤の真っ最中、そしてマシンガン・ザマ氏は移植後でなにやら機械がたくさんくっついた点滴棒につながれている。
 僕もおそらく月曜日から二度めのコーガン剤治療が始まる。今日の血液検査では、白血球の数がほとんど正常値にまであがっていた。これをまたコーガン剤で全滅させてしまうのはもったいないというか、ちょっと白血球がかわいそうに思えた。
 二度めは熱など出ないといいのだがなあ。