第一寛解、そして移植へ

 朝からじとじと雨である。窓から見下ろす手賀沼も、ぼんやりとうす白く雨に煙っている。
 お菓子のイーダさんと二人きりで静かだった病室は、昨夜向かいのタカハシさんが外泊から戻り、さらに僕のとなりには新しいひとが入って四人の満床となった。
 
 僕のとなりにやって来たのはザマさんといって、僕と同じ病気で骨髄移植をして、前日まで無菌室に入っていたらしい。
 ザマさんはひじょうによくしゃべるひとで、僕やお菓子のイーダさんとは、またひとあじ違うタイプのはなし好きなのであった。
 まずは病院のめしがまずいからはじまって、自分に対するあつかいがわるいとか、病院の体制がなってないとか、それを指摘しても何も変わっていないとか……。しかしアナタ、そうはいっても特別室のエライ患者さんじゃあるまいし、一般病棟の一患者なんだからそれは無理というものでしょうと思われるようなことを延々力説するのである。しまいに僕の治療方針にまで口をはさまれてしまった。
 僕はひそかに「マシンガン・ザマ」とニックネームをつけた。無気配のタカハシさんとはまったくの対極である。話好きだったイーダさんもすっかりカーテンの奥で黙り込んでしまった。

 さて、昨日の骨髄検査の結果によれば、僕はめでたく寛解となったようだ。第一寛解である。ということで今度は土曜日から次の抗がん剤治療(地固め療法)が始まるので、外泊は水曜日から金曜日までの二泊三日となった。最初の日に、予定通り父親の顔を見に行ってこようと思っている。
 
 第一寛解のあとは、予想どおり当然のごとく移植にむけての流れになった。
 主治医のはなしでは、臍帯血移植をするのかと思ったが、生体ドナーさまの骨髄移植をまず第一選択として骨髄バンクに登録をする。そして適合するドナーさまがみつかるまで地固めを繰り返しながら最低四か月くらいは待つことになる。めでたくドナーさまがみつかったらいよいよ移植となり、移植前後は二か月ほど僕は無菌室に隔離監禁される。そして順調にいけば移植後二~三か月で退院釈放の身となる。つまり、今から最低でも半年、長引けば一年ちかく入院暮らしが続くということである。
 今日は話だけであれこれサインはなかったが、移植直前にさせられるのだろう。
 
 午後、この雨の中を歯医者さんがやって来て、僕の歯を一本抜いていった。この先の治療の差しさわりになるからと。その歯はもともとぐらぐらしていてどうしようもなかったので抜いてもらってよかった。
 ところが歯医者の先生はもう一本抜きたがった。いや、そこはちょっと待ってくれといって断ったが、その歯もどうやら根っこがやられているらしい。なかなかあっちもこっちもである。抜いた歯は記念にもらっておいた。
 
 歯医者さんが帰ると、入れ替わりに母親がやってきた。今日はアパートの契約日だったのだ。雨のなかたいへんだっただろうが、無事に契約が済んだとのことで、まずはひと安心である。不動産屋の中田くんがずいぶん親切にあれこれやってくれたようなので、後でお礼の電話を入れておこう。あの母親にケイヤクなどという儀式をさせるのは容易なことではなかっただろう。母親も中田くんもともにおつかれさまである。
 
 そんなこんなで、朝から夕方までバタバタした一日だった。しかしそのくらいやることがあった方が時間がたつのが早くていい。
 夕方、一日のひとしきりが終わって、まだ半分しびれている口で缶コーヒーを飲んだら、やけに苦く感じた。
 明日は横浜で何を食べようかなあ。