第一の人生

 僕は子供のころから音楽が好きで、楽器を弾くのも好きだった。
 小学校のころはいとこのおねえちゃんにもらったウクレレを、中学校に入ってからは質屋で買ったギターと、新聞配達のアルバイトをして買ったドラムをいじくりまわした。
 幼いころに母親が僕を音楽教室なるところに通わせ、オルガンなどを弾かされていたせいもあってか、音感はわるいほうではなかった。

 僕らが中学生のころは、世の中はまだフォークソングの時代で、かぐや姫とか吉田拓郎さんなどが一世を風靡していた。僕も例外にもれず、そういうひとたちの曲をいっしょうけんめいギターで練習した。僕が生まれて初めて買ったレコード(当時はレコード盤の時代であった)は、かぐや姫のアルバムで、最初にギターで弾けるようになった曲は、名曲『神田川』であった。
 
 やがて中学から高校へすすむと、フォークからロックへと興味がうつり、楽器もギターからドラムへと変わっていった。当時、いわゆるハードロックと呼ばれたディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなどの激しい曲を好んで聴いた。ロックの激しさと反体制のスピリッツは僕を魅了した。そしてバンドも組んでいないのにドラムを買って、近所迷惑もかえりみずに自宅で毎日どんたかやった。
 
 ちなみにこの近所迷惑についてはエピソードがある。
 僕の両親は、僕が自宅でドラムを叩くことについて禁止をしなかったが、僕の家は住宅街にあり、音の大きなドラムは必然隣近所の騒音になった。
 ある日、母親が買い物に行ったとき、隣のおばさんに騒音の苦情を言われたらしい。母親はどうしたものかと思い悩み、三日間寝込んでしまった。どうやら僕は、このころから他人の迷惑というものをかえりみぬ自己中心男であったようだ。
 
 十代の終わりから二十代にかけては、バイトをしながらバンド活動に明け暮れた。音楽の好みもロックからフュージョンへ、そしてジャズへと変わっていった。友達が大学へ進学し、または卒業して就職し、音楽から離れていくのを尻目に、僕はずっとどんたかどんたかとドラムばかり叩いていた。
 
 へたなドラムでもやめずに叩き続けているうちに、やがてぼちぼちと仕事がくるようになり、そのうちになんとかドラムだけで食べてゆけるようになった。
 
 そのころ、第一の妻と出会ったのである。