その意、未だ解せずとも、意なきことなからんや

 こういう病気のものに対して、「移植しようよ。のぞみを捨てないでがんばろうよ」と言うのは勇気のいることだと思う。本気で心配すればするほど、そしてこの病気のことや移植のことを知れば知るほど、簡単には言えないと思うに違いない。少なくとも僕ならそうだ。
 
 そのひととは、チャットで知りあってからもう十年ちかくなるだろうか。
 あるときラインで呼び出され、いきなり「移植しようぜ!」ときた。そして、「ぼくも骨髄検査するからさ」と。
 自分がドナーになるという意味である。適合率が数百分の一であることも、ドナーとなるたいへんさも、移植の危険もぜんぶ承知のうえでの言葉だった。
 そのひと自身、重い難病で苦しんでいることを僕は知っていた。一時は寝たきりで、死すら考えたという。ぶっきらぼうだが、言葉にずっしりと重みがあった。
 そのひとが死の床で、自分の人生でやり残したことをあれこれ考えたとき、まだ一度も僕と食事を共にしていないと思ったという。だから僕にも、死ぬな、かならず元気になって一緒に食事をしようと。そしてそれまでに自分ももっと元気になっていると。
 
 またあるひとは、いつも折にふれ僕を励ましてくれる。可能性がある限り望みを捨てないでほしいという。
 また、そういうことは口にしないけれども、遠くからわざわざ時間をかけて会いに来てくれるひとがいる。
 そういうひとたちがそれぞれに僕に生きてほしいと思ってくれていることを考えるとき、つきなみな言葉ではあるけれど、僕はけっして一人で生きているのではないのだなと思う。多くのひとたちと縁し、支えられて生きているのだなと。大河に網の目のように支流があるように、僕の人生の川も、じつはいろんな人々とつながっていたのだ。だからこんな命でも、あながち粗末にはできないなと思うようになった。しみじみありがたいことである。

 今このとき、僕がこの病気を得たことも、この手賀沼のほとりの病院に入院したことも、こうして遠く近くに心配し、応援してくれるひとたちがあらわれたことも、おそらくすべて意味のあることなのだろう。それがどういう意味なのかは、もっとずっと後になってふり返ったときに、はじめて見えてくるにちがいない。
 そこまで流れつけたら、僕はまたあらたな生きる意味を見つけることができるだろうか。