そのひとは、なんの前触れもなく病室にあらわれた

「やっと会えた……」
 病室の入り口に女性が立っていた。
 その女性が誰だか、僕には一瞬わからなかった。
 それが誰だかわかったとき、僕は目を疑った。
 一年前に別れた僕の彼女だった。
 驚きと戸惑いと、嬉しさがいっぺんに込み上げてきた。
 
 彼女に椅子をすすめた。
 座るなり、彼女は涙をぽろぽろこぼした。
「病院がわからなかったから、手賀沼のまわりの病院をひとつずつまわって、最後にここに来たの。ここに居なかったら帰ろうと思って……」
「なんだ。メールのひとつもくれればよかったのに」
「ううん。そんな勇気はなかったわ。ただ、どうしてもすぐに行かなきゃって思って……」

 彼女とは、新宿時代に数年を一緒に過ごした。浅からぬ縁であったが、最後にはいろいろトラブルになって――その原因は僕にあったのだけれど――別れてしまった。それ以来、僕はずっと彼女に憎まれていると思っていた。だから僕から連絡を取ることはできなかったのだ。
「誰から僕のことを聞いたんだ?」
 彼女はその質問には答えなかった。ただ、このブログを探しあて、何度も読み返したと言った。

 うれしかった。
 僕は別れた後も、憎まれていても、なぜか彼女に対する愛情は変わらなかった。しかしもう会うこともないとあきらめていた。
 
「ね、お願いだから生きて。希望を捨てないで」
 そう言って、彼女は僕にフェイクフラワーの小鉢を手渡した。
「生花はだめだとおもって」
 小鉢には小さなウサギの飾りがついていた。
「わたし、ウサギ年なのよ」

 思わず涙がこぼれた。
 僕はじっと目を閉じて、彼女と過ごした時間を回想した。楽しかった思い出しか浮かんでこなかった。
 
 それからしばらく僕の病気のこと、彼女の近況などをひとしきり語り、日が落ちるころに彼女は帰っていった。
 彼女の乗ったタクシーが見えなくなるまで見送った。
 あたりはもう暗くなりはじめ、彼女の乗ったタクシーのテールランプが、やけにまぶしくみえた。
 
 彼女が去ってなお、僕の心は平常心を取り戻せていなかった。それほど驚かされたのだ。
 けれどもまたひとつ、僕の心は後押しされたようであった。