タカハシさん、仮出所おめでとう

 タカハシさんは、朝食を食べ終わるとそそくさと荷物をまとめて病室を出ていった。栄誉の外泊仮釈放である。僕とイーダさんは万歳三唱で見送った。
 タカハシさんは、「寿司が食べながら一杯やりたい」と言っていた。わかるなぁ、その気持ち。今ごろは自宅でゆっくりくつろぎながら特上寿司でもとって久しぶりに一杯やっているころだろうか。
 
 彼はもうだいぶ病状が回復してきているから生ものを食べてもいいらしいが、僕は禁止である。サラダでもなんでも野菜は一回茹でたものを使う。そして果物はカンヅメなのだ。果物のカンヅメは僕らが子供のころはごちそうの部類だったので、それこそ風邪でもひいて寝込みでもせぬかぎり滅多に口にはできなかった。だから今たくさん食べられてうれしいのだが、それでも毎日毎回となると若干飽きる。
 
 というわけで日曜日にタカハシさんが戻ってくるまで、この部屋は僕とイーダさんの二人だけになった。四人部屋に二人だけというのはややさみしい。タカハシさんは滅多に話をしないし、いつもカーテンを閉めて気配を絶っていたので居るのか居ないのかさっぱりわからない存在だったが、それでもいざいなくなってみると病室にぽかんと穴があいたようになってしまった。
 
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 横浜に住んでいる母親が僕と同じアパートの隣の隣の部屋に引っ越してくることになった。僕を心配してのこと……、とくに退院後の食事のケアを気遣ってのことだ。たまさかタイミングよく部屋が空いたので、どうせ今母親が住んでいる横浜のケアマンションは近々出る予定だったし、湘南にある自宅にもどろうと思っても、もう長年空き家だったので補修に数十万円かかるらしい。それならいっそ僕と同じアパートに引っ越してしまえということになったのだ。
 僕のアパートからならスーパーへも歩いてゆけるし、河原の散歩道が近いので、年齢のわりには健脚で歩くのが好きな母親には向いているかもしれない。ただ、父親のいる特養に行くのにおおいに不便になってしまうのが気がかりだ。
 
 しかし今年八十五歳になる彼女は、生まれてこのかたアパートなどというものを借りたことも住んだことも一度もないので、何をどうすればよいのかまったくわからない。僕は不動産屋の担当者に電話をして、あれこれ事情を説明して仲介を頼んだ。頼んだはよいが、いざ手続きとなると免許を持たぬ母親は、本人確認書類だけでもああでもないこうでもないと面倒千万である。無事に契約が終了し、引っ越し作業が終わるまではあれこれたいへんだろうが、僕は電話で口だけしか出せないのがもどかしい。
 その母親もいつまで元気でいられるかわからない。もしかすると今度は僕が彼女の介護をする日がくるかもしれない。いずれにしても近くに住んでいればなんとか安心だろう。病人と老人の奇妙な半二人暮らしである。
 
 ともあれ、僕がこんな病気になってしまったことで、母親の人生もちょっとねじ曲げてしまったかもしれない。この先は、できれば彼女より先に死なないように気をつけよう。