雨上がりの森は、しっとりしずかだった。

 昨夜降った雨で、窓から見える木々や草の色がかわった。
 そういえば、僕がこの病院に来たときにはジャンパーを着ていたのだ。それが今ではTシャツ一枚になり、わずかな間にすっかり季節が変わってしまった。
 
 午前中はミンザイの持ち越しでぼうっとしていた。
 今日は丸一日なにもやることがない。点滴を朝と晩に一本ずつつなぐだけである。
 入院生活は基本的には毎日ヒマなのだけれど、たまに用事が重なるときは重なるもので、相談センターに行ったり、ドクターと面談したり、あちこち電話したり、部屋で電話を受けてあわてて電話場まで行ったりとめまぐるしい日もたまにある。電話場というのはケータイ使用可能場所のことで、各フロアに一カ所ずつそういう場所があるのだが、僕の病室はいちばんそこから遠いところにあるから、電話を受けるたびにそこまで移動するのがたいへんなのだ。
 
 昨日は午後いっぱい書類書きで終わってしまった。医療費のあれこれやら、何のどれそれの書類もなにも、僕は全部自分でやらなければならない。小さなベッドテーブルの上に書類をひろげ、ベッドの上に資料をひろげてあれこれ調べていたら、看護婦が、「勉強?」と聞くので、「いや、仕事」と答えておいた。
 書類はなんとか夕方までには完成し、発送できたのでよかった。そういうことがひとつ終わるたびに、ひとつ物事が前へ進んだことになる。ちょっとずつ、一歩ずつでも進んでゆかぬことにはどうにもならない。
 
 今日は、先月引き落とされなかったケータイ代金の払い込み用紙が届いたので、一階のコンビニで支払ってきた。それとこの日記を書くことだけが今日のやるべきことのすべてである。
 郵便物は全部この病室に転送されるようにしてある。半年以上ここに住むのであるから、そうせねばあらゆる事が成り立たない。
 部屋にもどってパソコンに向かって日記を書いていたら、今度は掃除のおねえさんが、「千葉さんって作家なの?」と聞くので、「そうだ」と答えておいた。
 
 夕方、パソコン作業が一段落して、いつもの裏の森へ行った。 
 雨上がりの森は空気がひんやり、しっとりとやさしかった。雨をたっぷり吸いこんだ木々や土の匂いが心地よかった。
 アゲハチョウが一匹ひらひらと飛んできて僕の手にとまった。指の上でしきりに蜜を探すのだけれど、わるいなあ、そこには蜜はないんだよ。
 
 「移植、受けてるのもわるくないかもしれないな……」
 
 アゲハチョウを見つめながら、ふとなんとなくそんな考えが僕の頭をよぎった。 
 高い木の枝でヒヨドリが気持ちよさそうにさえずっていた。