僕はこの病院にいられますか?

「もしもですよ? 仮に私が、移植はせずに化学療法のみにしたいと言ったら、私はこの病院に居られなくなりますか?」

 昨日の主治医との面談の最後に、僕が勇気を出して聞いてみた質問である。
 この病院は大学病院であり、高次病院としての機能を備えていて、各科で遠く千葉市内などからも患者が転院に転院を重ねて最後にたどり着く病院であったりもするらしい。そういう千葉県内でもトップクラスの病院である。
 そのような病院では、得てして、急性期の治療はしますが回復期に入ったら何処かへ転院してください、と言われることが多い。治療に関しても、もうちょっと低次の病院でも出来る治療はそちらでお願いします、というようなこともあると聞いている。おそらくそうしないと患者が殺到するしベッドは空かないしで、高次病院としての機能を果たせなくなってしまうのだろう。
 しかし、僕はこの病院を追い出されてしまったら、病院探しから各種行政への手続きなどのすべてを一からやり直さなければならなくなってしまうので、できることならこの病院で最後まで面倒を見てもらいたいのだ。主治医のドクターも若くて熱心だし。
 まだ移植をするともしないとも決めてはいないが、一方の選択肢をもぎとられて、強制的にもう一方……つまり移植の実施という選択をさせられるのはちと困る。それでは僕が自分で自分の人生の重大事を決める権利を奪われることだから。かといって追い出されたらこれまた困ってしまうわけだし……。
 
 なので、おそるおそる聞いてみた。
 主治医は、こう答えた。
 
「そんなことはありませんよ。どんな治療であれ、ずっと僕らがやります」

 その言葉に、僕はちょっと目頭が熱くなった。
 
 連休中はドクターが居らず、相談センターもやっていなかったので、僕は誰にも相談できずかなり悶々としていたのだが、このひと言で気持ちが晴れた。そして、やっとニュートラルな状態で治療方針について考えられるようになれた。
 移植をするかしないか、その最終決定は患者本人である僕に託されている。この先何度も主治医との話し合いを重ねてゆくなかでいずれ決めることになるが、どちらにしても悔いのない決断を「僕が」しなければならない。
 
 ついてはひとつよい情報があった。
 もし、第一寛解(※)で移植ができれば、移植後二年生存率が三十パーセントに上がるのだと。二年と五年では三年も差があるではないかと思われるが、生存率曲線は移植後二年付近でぐぐっと曲がってその後はほぼ水平になるので二年生きられればその後は完治する可能性が高くなるのだ。
 
 二十パーセントが三十パーセントになった分だけ、僕の気持ちも移植にちょっと傾きそうな気がする。まだまだGVHD(※)の恐怖など、それを妨げる要素は多いが、大分気が楽になったのがうれしい。

※第一寛解
 抗がん剤治療によって全白血球中の異常白血球の割合が五パーセント未満になった状態を寛解という。数度にわたる抗がん剤治療の中で最初にこの寛解状態になったときを第一寛解という。
 第一寛解での骨髄移植がもっとも治療成績がよく、第二、第三寛解となるにつれ成績は下がる。

GVHD(移植片対宿主病、graft versus host disease)
 ドナーから移植された造血幹細胞から生まれた白血球が、患者自身の身体を異物とみなして攻撃してしまう症状。移植後五十~六十パーセントで出現する症状であるが、その程度はほとんど治療を必要としない軽度のものから、何年も治療を必要とし、かつたいへん苦しいものまでさまざまであり、移植を実施してみなければ発症するかどうかわからない。