お菓子のイーダさん

 隣のベッドが空いた。
 といっても別にそこの主が亡くなったわけではない。一般病棟へ移ったのだ。この病室には僕とおなじような血液の病気の人ばかりが入るのだけれども、このクリーンルーム(準無菌室)から一般病棟へ移るというのはめでたしめでたしなのである。
 
 さて隣が空いたところで、隣の領分のカーテンを全開にした。すると僕の領分も広々として窓がよく見えるようになり、外の景色を居ながらにして見渡すことができるようになった。以前、やはり隣が空いたときに看護婦に「隣に移らせてくれ」と頼んでみたことがあったが、「そういうことはできません」とすげなく断られてしまった。なので、できることならこのまま隣のベッドが一日でも長く空いていてくれることを心ひそかに願うものである。
 
 ところでこのベッドのカーテンであるが、昔は多床室でも昼間はみんな開け放っていたような記憶がある。そして患者同士でぺちゃくちゃとおしゃべりをしていたように思う。昼間からカーテンを閉め切っているのは、よほど具合がわるいか、人ぎらいのへそ曲がりくらいだったと思うのだが、今ではみんな閉め切ったままである。せまっ苦しいのが苦手な僕には、よくそれで息がつまらないものだと思われてしまうが、そういう時代なのだろう。

 さて、四人部屋で一人いなくなったということは残るは僕を入れて三人となったわけである。向かいのタカハシさんは先日紹介したので、今日は斜め向かいのイーダさんについて話そう。
 これがなかなかおもしろいおじさんなのだ。

 イーダさんは僕の斜め向かいの窓側なので、トイレやシャワー、洗面台を使うたびに僕のベッドの前を通過しなければならない。僕が廊下側だからね。で、僕がまだこの部屋に入ってすぐ、まだ誰の名前も顔もよくわからなかったころ、このイーダさんは僕の前を通過する度に、ちょっとこちらを向いてニコッと微笑むのであった。それも毎回である。僕はそのころから自分の前のカーテンをいつも少し開けていた。イーダさんのベッドからペタシコペタシコと足音が聞こえてきて、僕の前にくるとニコッ。このペタシコニコの日々が何日か続いたのである。
 さてはオヤジめ、おれに気があるのかな? と、ちょっと身構えたが、じつはそうではなくて彼は話し相手がほしかったようだ。彼の隣、つまり僕の向かいのタカハシさんは例のとおり一日中カーテンの中で気配を消しているし、僕の前にどんな人が入っていたのかはわからないが、僕が入ったときにはイーダさんとしては話し相手にこと欠いていたのだろう。そこへイキのよさそうな新入りが入ってきたので、ペタシコニコとなったわけである。
 
 イーダさんは僕よりひとまわり年上で、立派な会社を長年勤めあげ、最後には関連会社の社長までつとめたらしいが、話してみるとまったく威張ったところはなく、気さくなおもしろいおじさんであった。僕はふだんは他人に対して、ましてや年上の人に対してなかなか軽口をたたけないのだけれども、どうもウマが合ったというのだろうか、ほどなく彼に対しては気兼ねなくたたけるようになった。
 彼は僕と同じ病気の他に糖尿もわずらっているのだが、そのわりにはお菓子が好きで、いつもあれこれたくさん隠し持っていて、よく僕にわけてくれる。なので僕は感謝の意をこめて、「お菓子のおじさん」と呼ばせてもらっている。
 
 そんなわけでこのクリーンルーム749号室(いやな部屋番号である。『泣いて死ぬほど苦しむ』ではないか)は、お菓子のイーダさんと、気配の薄いタカハシさんと、パソコンばかりいじっている僕との、まあいわゆるおやじ三人で毎日生活しているわけである。当面……、つまり最低でも今後数か月はこの顔ぶれは変わらないものと思われる。
 僕としては、まずまず居心地がいいのが救いである。半年も一年も生活を共にするには、居心地というか、同室の人がどんな人かが重要ごとだろうから。

 カーテンを開け放った窓から初夏の日差しがサンサンと射し込み、新緑が目にまぶしい。
 気持ちのいい朝である。