GWで思い出すこと

 昨日の雨から一転して、今朝は憎らしいほどのよい天気になった。
 風薫るいい季節である。
 世間は今日からゴールデンウィークに突入したらしいが、われわれ入院患者らにはそういうことはまったく無関係である。一般社会のみなさまは、せいぜい事故らぬよう気を付けて楽しんできていただきたい。
 
 昔、こんなことを考えたことがある。
 もし自分が不治の病で一日中ベッドに伏していたら、病室の窓から見える雲ひとつ、木の葉一枚に心をうごかし、そこにしみじみと命のはかなさを感じるのではないかと。
 しかし、いざ自分がそうなってみると(まだかならず死ぬと決まったわけではないが)あまり普段と変わらぬものである。多少はそういうものに心うごかされることもないではないが、それはおそらく毎日がヒマの連続であることと、目に映るものがいつも同じものばかりだというのが主な原因と思われる。まあ思ったほどには変わらないのだ。そんなことより、あの看護婦はキレイだなとか、このパジャマはLLなのにどうしてこんなに丈が短いのかとか、今日のめしはなんだとか、そういうことのほうがはるかに重大事なのだ。いかにも凡俗である。僕のような凡俗漢はおそらく最後まで凡俗として変わることはないのだろう。
 
 ゴールデンウィークといえば思い出すことがある。
 それは僕が馬車屋だったころ、初めてお客さんを乗せた時のことである。
 そのころ僕は九州の宗像というところにおり、近くのホテルでゴールデンウィーク限定で遊覧馬車の営業をさせてもらうことになったのだ。そのときの僕はやっと一人だけで馬と馬車の運搬、積み下ろし、準備、走行、撤収などができるようになったばかりだったので、不安と緊張のなかでの初営業であった。お客さんの相手はタクシーの経験があったのでさほどの問題はなかったが、それでも馬車にお客さんを乗せて無事故で走行するのは、初心者の僕には大変なことであった。そのときはじめて乗せたお客さんにもらった千円札は、いまでも大切に封筒に入れてとってある。何なら額に入れて飾っておきたいくらいだ。
 
 遊覧馬車のコースは、ホテルの玄関から発着し、ホテルの周囲をちょろっとまわる、ほんの二十分ほどのコースだったが、テニスコートの脇を通り、鶯のなく天然の森をぬけ、ヒバリの飛ぶ原っぱをぐるっとまわってくるというたいへん気持ちのよいコースだった。
 お昼に原っぱに馬車をとめ、馬と一緒に休んでいると、道路から僕らを見かけた車が物珍しげにわざわざ入ってきたりした。
 車ですれ違ったおばちゃんが、わざわざニンジンをたくさん買って引き返してきてプレゼントしてくれたこともあった。
 緑の原っぱで馬車をとめ、青い空とまっ白なホテルをバックに写真を撮るとたいへん絵になった。
 一日の仕事を終えて帰り支度をしていると、地元の子供がやってきていつまでも横にいて、うるさいくらいにあれこれ聞いてきた。

 遊覧馬車は時間が長くたいへんなわりにはそれほどお金にならなかったが、僕の得難い馬車修行の場となったし、心から喜んでくれるお客さんの笑顔が何よりの報酬であった。
 あのときも、ちょうど今日のように暑くも寒くもない、気持ちのよい陽気だった。久しぶりに思い出した。こうやって毎日しずかに生活していると、いろいろなことを思い出すものである。そしてそれはたいていが良かったことばかりである。たまにはよくなかったことも思い出すが、それはすぐに頭の中から去ってしまう。
 そう考えると、これまでの僕の人生というのも、まんざらわるいものでもなかったのだなあと、しみじみ思う。