友人が来てくれた

 遠路はるばる高校時代の友人が二人、訪ねてきてくれた。
 そのうちの一人とは、会うのは久しぶりも久しぶり、高校以来四十年ぶりくらいである。もう一人の友人とは最近よくネットで連絡を取っていて僕の病気のこともよく知ってくれており、四十年ぶりの友人は、その友人から僕のことを聞きつけたらしい。片道三時間の道のりをわざわざ二人でやってきてくれたのだ。
 
 僕のようなひとり者は普段は気楽でよいが、いざこうやって入院などしてみるとさみしくていけない。他の患者さんたちのように毎日綺麗に洗濯された衣類などを届けてくれる家族がいる人がうらやましい。いや、洗濯ならここでひとりでできるからよいのだ。来てくれる人がいるというのが非常にうらやましいのだ。なので今日友人が来てくれたのは非常にうれしかった。来ると聞いてから一日一日指折り数えながら今日を待った。会うまではちょっと緊張もしたが、会ってみれば瞬時に昔の関係にもどって楽しくあれこれ話がはずんだ。
 
 じつは僕は三度結婚をして、三度離婚をした。けっしてそれぞれの結婚をいい加減な気持ちでしたわけではない。言い訳くさくなるが、そのときどきで真剣な気持ちで結婚したのだ。にもかかわらず三度とも離婚に至ってしまった。結婚生活不適格者なのだ。子も何人かいたが、みなそれぞれ母親が引き取っていった。
 
 それでもこの歳になってしまえば一人は気楽でいいし、女はいたらいたでいいが、いなければいないでこれまたいいなと思う。
 子や孫がいないというのはちょっとさみしいけれど、それもまたひとり者だからしかたがない。ただ、考えてしまうのは、僕が子をちゃんと育て上げてこなかったという後悔である。これは生きものとしては決定的に失格であると思う。子をなし、しっかりと育て、群れ社会に送り出してこそはじめて一人前の生きものといえるのではないだろうか。僕と別れた妻たちはみなしっかり子を育て上げている。
 というわけで、僕は結婚生活不適格なうえに生きものとしても失格的個体であるというわけだ。しかしまあそれも僕がそういう性分に生まれついてしまったのだから仕方のないことなのだろう。あきらめるしかない。
 
 そういうわけなので、この病室に僕を訪ねてくるのは年老いた母親がたまに来るだけで、今までは他には一切誰も来なかったのだ。この柏には友人もほとんどいないので近くから来る者もいない。だから今日、数十年ぶりに遠路はるばる来てくれた古い友人には尽きぬ感謝の気持ちがあふれた。
 帰り際、彼らをエレベーターまで見送って、握手をして別れたのだが、エレベーターのドアが閉まって彼らの姿が見えなくなってから、僕は深々と頭を下げて心の中で彼らに合掌した。
 ちょっと涙が出そうになった。