タカハシさんはすごいのだ

「治癒」
寛解
 どちらもむずかしい字である。パソコンだから変換できるようなもので手で書けといわれても、おそらく僕にはどちらも無理である。
 どちらもおなじように「なおった」という意味らしいが、ニュアンスがちょっと違う。
「治癒」のほうは、字のとおり本当に完全に治ったということなのだが、「寛解」のほうは、「病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態(デジタル大辞泉)」だそうだ。つまり、「ほんとうに治ったかどうかはよくわかりませんが、いちおうは治ったようにみえますね」とそういう状態なのだ。そして、「治ったようにはみえますが、見えないところにまだ病気のモトが隠れているかもしれませんね」と。

 よくわからん。それはなおっていないじゃないか。医学というのはそんないい加減なことでよいのか。なかんずく、現代医学というのはもうちょっとキッパリハッキリしたものなのではないのかと思うのだが、どうもそういうものではないらしく、こういう部分もこの病気はよくわからないようである。
 
 さて、僕の病気は急性骨髄性白血病という、長ったらしく舌をかんでしまいそうな病名なのだが(ついでにいうと、そのなかでもM6というやっかいなタイプなのだ)、前にも話したとおり現代医学をもってしてもよくわからない病気である。もちろん治療法はちゃんと確立されているのだが、結局のところその根本はよくわからないので、これがなおったとしても治癒という言葉はつかわず、寛解のほうが使われる。そして寛解であるからには、いつまた病気が再燃してもおかしくない。俗に再発といわれるやつである。
 
 と、言葉で言ってしまえば簡単なのだが、この再燃はなかなかやっかいで、最初の発病のときより数倍病気のタチが悪くなってやってくるので、なかなかなおりもわるいらしい。さらにやっかいなのは病気を受けとめるほうである。だいたいのがんにおいて、最初に告知されるより、再発の告知のほうが何倍もショックが大きいらしい。それはそうだ。あれだけつらい治療に耐えぬいて、やっとなおったと思ってよろこんでいたら、ある日「再発ですね」などと言わるというのは相当なショックだろう。
 
 僕の向かいのベッドのタカハシさんが、この再燃で入院している。例のとおり一度は寛解し、「もう大丈夫ですね」などと言われて万々歳で退院したものの、数年後、再燃してしまったらしい。この病気の再燃率はたかく、50パーセントにもなるのだからけっしてめずらしいことではないのだろうが、やはり当人にとってはたいへんなショックだったとのことである。当然だろう。
 
 このタカハシさんには特技がある。
 それは、音も気配もなく移動できる、というたいへんなものなのである。
 タカハシさんのベッドは僕の向かいで、トイレは僕のベッドの横にあるのだが、彼はさんはベッドにいたかと思うと、いつの間にかトイレにいたりする。彼はいつもベッドのカーテンを閉めているので、そこからどこかへ移動するにはカーテンを開く音や、点滴棒をカラカラころがす音や、足音などが聞えるはずなのだが、彼は何の音も気配もさせずにいつの間にか移動しているのだ。
 かと思えば、ベッドにいたはずなのに突然部屋の外から入ってきたりする。いつの間に部屋から出ていったのかかいもくわからない。神出鬼没なのである。そして彼がベッドにはいり、カーテンを閉めてしまうともういるのかいないのか、まったく気配が感じられなくなるのだ。
 
 いつだったか、彼とこんな会話をしたことがある。
「ずっとベッドに寝ていて飽きませんか?」と僕。
「そうだねえ。天井見てるねえ」
「へえー」
「私もね、一時は本ばかりむさぼるように毎日読んだ時期もあったんだよ。それからアンタみたいにパソコンを毎日ずっといじっていた時期もね。でもね、そういうのはもうやめて、全部持って帰ってもらったんだ」
「ああ、じゃあ僕なんかまだまだ素人だ」
「いや、そんなこともないだろうけど……」
 
 いやいやいや、そんなことはある。彼はもう一種の悟りの境地に達しているのではないだろうか。半分くらい仙人になっているにちがいない。だから音も気配もさせることなく移動し、一日中ベッドで気配を消し続けたりできるのだ。僕などはベッドの脇にテーブルと椅子をしつらえて日がなパソコンをいじっているから、まだまだ半人前である。それはそうだ。僕はまだ二週間足らず、彼はもう何年もだ。修行の量が桁違いだ。彼のようにならねば、この病気と付き合っているとは言いがたいのだ、きっと。
 
 タカハシさんの姿に、ふと数年後の僕の姿が重なることがある。
 そのとき、僕はどんな心境で、毎日何を考えるのだろう。