縦書明朝全画面の効果

 このページの記事がどうにも書きづらかったので、試しにいつも使っている縦書きアプリで書いてみたら、いたく具合がよろしいじゃないか。やはり書くのには縦書き全画面にかぎる。
 
 縦書きか横書きか……、それは日本人にとって戦後のGHQ占領時代から今日、いや未来永劫にいたるまで、常に逃れられない迷いなのである。
 
 もともとわれわれ日本人は、縦書きしかしてこなかった。日本の文字と文章は太古からずっと縦書きの中で培われてきたのであり、やはり縦書きとの相性がいいのだ。しかし敗戦となって、GHQ占領政策の一環として無理やり横書きがなだれ込んで来た。マッカーサーは、「オマエら今日からぜんぶ横書きね。縦書きダサいからね。漢字も禁止ね。そんで句読点はカンマとピリオドね」とのたまった。
 
 あわてたのは政府、なかんずく当時の文部省である。文部というからには文章の決まりごとを作らねばならず、苦肉の策として、「○○は縦書きで『、。』を使用し、○○は横書きで『,。』を使用するように」というわけのわからんおふれを出した。そして漢字については、「へぇ、もうおっしゃるとおりにやめるにはやめますが、いかんせんこれまでの歴史ちゅうもんがござりまして下人どもが困りますでに、当面はこれこれでひとつご勘弁を願わしゅう……」と、もみ手すり手で当用漢字数百字を設定したのである。当用とは、当面使用する、という意味である。
 
 まあそんな歴史の上に今の日本の文章文化は成り立っているのであるから、無理があるのもいたし方ない。もともと縦に読むように作られている文字を横で読むと、知らず知らずのうちに目が疲れてしまう。どうやら目の構造もわれわれは上下運動に適するようにできているようだ。さらに明朝は横表示には適さないので、やむなく欧米の真似をしてゴシックを使ってみたり、ボールドにしてみたりするのだけれども、まだ今ひとつなのでメイリオなどの新しいフォントが生まれた。
 
 若いうちはなんでもいいのだ。縦だろうが横だろうが、ゴシックだろうがゴシップだろうが、がんがん読んでがんがん書ける。ところが歳をとると、悲しいことにほんの少しの差で疲労感がまるで違ってしまう。読むときは言うに及ばず、書くにいたっては部分と全体とを見渡しながら書き進めねばならないので、横書きでの長時間作業は非常につらい。それでもネットは横表示なので、がんばって画面ヅラを予測しながら横で書いてきたのだが、時間と疲労がかさむばかりであった。それを縦書明朝全画面にしてみたら、嘘のようにあっさり楽になった。そしてありがたいことに完成画面の予想も思いのほか外れないので、同じ枚数を書く作業時間と労力が三分の一くらいに減った。
 
 何ごとも、試してみるものである。