僕が文章を書くときに、大切にしていること (句読点)

さて、句読点です。
句点「。」と、読点「、」です。

これ、意外と難しいんですよね。
句点「。」は、まあわかるのですが、読点「、」をどこに打つか。文章を書き始めたひとが、かならず一度は悩む壁です。僕もそうでした。

最初に結論を申し上げます。秘策があるのです。
それは、声に出して朗読してみることです。
できればゆっくり、じっくりと。

文字や文章は、話しことばを文字に置き換え、それを集めて文章として表記したものですので、私たちは文字を読む際に、かならず脳内の言語野という部分で朗読して理解しているのです。

話しことばが先にあって、文字はそれを表記したものである。
これが大原則です。基本です。

ニュース原稿というものを見たことがあるでしょうか。

http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/special/newface2008/images/12/06.jpg

こんな感じです。

ニュース原稿というのは、言葉で多くのひとに何かを伝えるプロフェッショナルであるアナウンサーが、その目的のためだけに使う文章ですので、究極の文章といえるでしょう。
たったこれだけの言葉を伝えるのに、プロである彼らはここまで推敲するのです。

伝わりづらい単語、読み間違いやすい語句、読む際の区切りの位置、果てはイントネーションまで書き込みます。
この原稿において、彼らは読点の位置を厳しく考えます。どこで区切って読み上げたらより伝わりやすいか。よりリズムがよいか。より自分が読み上げやすいか。
上の原稿にもその苦労の跡がみられます。

僕たちが書く文章はそこまでシビアではないにしても、何かを伝えたいという目的は同じなのですから、同じように朗読をしてみることによっておのずと文章(言葉)のリズムや確実性がよくわかってくると思います。

つまり、声に出して読み上げてみて自分が区切りを入れたいところに句点を打てばよい、ということになります。

総じて、昔の──とくに戦前の小説家の文章では読点が非常に多かったのですが、今はずい分減ってきています。それでもまったく読点を打たない文章は読みづらい。


僕は、燦々たる日差しを、背に受けながら、遠い山並みの、陽炎を、眺めていた。


僕は燦々たる日差しを背に受けながら、遠い山並みの陽炎を眺めていた。


僕は燦々たる日差しを背に受けながら遠い山並みの陽炎を眺めていた。

どれがお好みでしょうか。
もし声に出してみても迷ったら、いっぺんすべての読点を抜いてみたうえで、どうしても必要だと思われるところに遠慮がちに入れてみるとうまくいくことが多いようです。

それ以外では、読み間違えられる可能性のあるところでしょうか。

朝はやる気持ちがあった。

この文章は、「朝は、やる気持ちがあった」と、「朝、はやる(逸る)気持ちがあった」の両方に読めてしまいますので、自分が意図したとおりに伝わるように読点を打つ必要がありますね。

僕は、よほど長い文章でないかぎり、原則としてひとつのセンテンスに一か所の読点を入れるように心がけています。

ワンセンテンス・ワンコンマ。

それでもいつも悩むのですが。