僕が文章を書くときに、大切にしていること (漢字含有率)

 読みやすい文章とは、どういうものか。
 駄文拙文書きの僕が言うのもおこがましいかぎりですが、できるだけ気を付けていることをお話しします。

 書かれている内容、つまり主張や文章構成などについては、いくらでもそういう解説サイトがあるのでそちらにおまかせすることとして、単純に「その文章をどう書くか」のみに限定します。

 漢字含有率とは、その文章のすべての文字数に対する漢字の文字数の割合です。
 たとえば次のような文章があるとします。

僕は燦燦たる陽射を背に受け乍ら、遠い山脈の陽炎を眺めて居た。

 なんだか大正文学みたいですね。
 僕のPCで変換可能な文字のすべてを変換したのですが、文章全体が非常に堅苦しいだけでなく、ちょっと読めないような漢字もあるのではないでしょうか。
 多くのひとは、おそらく一見しただけでちょっと読む意欲が低下するでしょう。
 この文章の漢字含有率は、じつに50%です。

 では、要所要所をひらがなに開いてみましょう。

僕は燦々たる日差しを背に受けながら、遠い山並みの陽炎を眺めていた。

 ちょっと読みやすくなりました。
 「燦々」と、「陽炎」、読めますか? 「さんさん」、「かげろう」です。
 この二つの単語のせいで、まだ少し堅さと読みづらさが残っています。
 そこでそれも、ひらがなに開いてみます。

僕はさんさんたる日差しを背に受けながら、遠い山並みのかげろうを眺めていた。

 これでもう、ほとんどの人が読めるようになったでしょう。使われている漢字は小学校中学年レベルの字のみです。

 しかし……、読みやすくなった半面、すこしマヌケになってしまったかもしれません。
 そこで、もし日差しの強さを強調したい場合であれば、あえて「燦々」とするかもしれません。さらに、「陽炎」も強調したい、できれば読み手の意識をそこに向かわせたいと考えるのであれば、これも漢字にする効果は大きいでしょう。
 二つの文章の漢字含有率は、それぞれ24%と34%です。
 このあたりは、書き手の意図と好みの問題になってくると思います。

 しかし、僕だったらもっと開いてしまいます。

ぼくはさんさんたる日差しを背にうけながら、遠い山なみのかげろうをながめていた。

 どうでしょう。開ける漢字はすべて開いてしまいました。漢字含有率は12%です。
 マヌケになった分、柔らかい日差しと、ゆらゆらゆらめく陽炎の雰囲気が伝わるのではないでしょうか。やさしい初夏の景色になります。

 もっと開こうと思えば「遠い」もひらがなにできるのですが、「遠い山」という字づらから伝わるであろうイメージが大事なので、あえてここは残しました。「遠」という字によって、読み手の頭の中に、視界のはるか遠くに連なる山々が浮かんでくれればいいなあと。

 さらに、文頭の「ぼく」まで開くか、「僕」とするか迷います。一人称ですから大事な問題です。
 お約束として、一旦開いたら文章全体を通して開き続けなければなりません。あるところでは「僕」、別のところでは「ぼく」ではダメですので、たいへん悩むところです。
 僕は、普段は「ぼく」とすることが多いのですが、この記事は能書きを述べているので、ちょっと気取って「僕」にしました。

 日本語の文章というのは、2千年近い歴史の中で磨き上げられてきました。
 それは、「漢字」というすぐれた表意文字と、たおやかな表音文字である「かな」とを使い分けて混在させる、素晴らしい文字文化だと僕は思います。アルファベットなどの表音文字だけを使う文章ではとても真似ができません。それをどう駆使して、いかに読み手に伝えるか。それが私たち日本語話者の書き手の腕のみせどころなのではないでしょうか。

 一般的には、漢字含有率は30%前後がよい文章とされています。ただしそれはあくまで「教科書文章的によい」というだけのことです。日記やエッセイなどと、学術文やニュース文などではおのずから大きな違いがあるでしょう。

 プロの書き手は、漢字含有率をしっかり考えながら、漢字にするか開くかを意識しています。
 コラムなど字数制限が厳しい場合は、やむなく漢字を多く使わざるを得ませんが、それ以外の私小説などでは驚くほどひらがな率が高い場合が少なくありません。

 僕は、基本的に開けるものは全部開いてしまうように心がけています。まして自分が手で書けない漢字などは、よほどの目的がないかぎりPC文でも使いません。
 だって恥ずかしいじゃないですか。「おまえ、その字書けるのかよ」なんて。

 そうやってひとつひとつのセンテンスをていねいに磨き上げていくと、やがて文章は輝いてきます。何度も何度も推敲します。
 そうして磨かれ、輝きを増した文章は、まるで自分の子供のようにかわいくなり、もっともっと輝かせてやりたくなります。
 そういう作業が、文章を書くうえでの大きな楽しみのひとつなのだと、僕は感じています。

 あくまで僕の好みですが。